|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
 |
|
|
|
|
|
|
|
|
LA:2008-07-11 08:11 |
(81) |
|
|
|
バルセロナから北スペインの高級リゾート地、サン・セバスチャンへ移動しました。飛行機が遅れて、ホテル・マリア・クリスティーナに到着したのは、午後7時半をまわったところでした。東京からの友達は、昼過ぎに着いていたそうで、ひとりで町へ出て、夕飯のレストランの下調べをしていてくれました。 |

この辺りは、バスク地方と呼ばれ、スペインでも独特の文化を大切にしています。夕食は、この辺りでとれるイベリコ・ハムを注文しましたら、ちょっとぎとぎとしていましたが、おいしかったでした。この量は、5、6人でいただくのがよさそう。 |
朝の10時に朝食をとりに出かけたら、バル(バー)には、こんなに食べ物が用意されていてお見事!スペインの北のほうは、タパスとまた違う、こうした料理を小皿に分けてもらっていただくサンチョスが有名です。手前の、タコがさっぱりしてとてもおいしかったです。
このあたりは、コッド・フィッシュの料理が名物みたいですが、タラも身が大きいのか大味でした。マーケットへ遊びに行ったら、動物のぎょっとするような部分が売られていたり、皮を剥がれたウサギや目をむいたヤギの頭がごろんごろんしていて、この辺りの人たちは何でも上手に料理して食べるんだあと感心しました。聞けば、バスク地方では、男性でもお料理好きな人が多く、グルメの会などたくさんあるそうです。 |
サン・セバスチャンでレンタカーをして、いよいよロードトリップの始まりです。と、聞こえはいいのですが、予約をしておかなかったので、オートマチックの車がなく、十何年振りにスティックシフトの車を運転することになって冷や汗がでました。ヨーロッパって町の中心地以外は信号がないんです。英国では、ラウンドアボウツって呼ばれるんですが、道にドーナッツ状のサークルがつくられていて、そこに車が入ってぐるぐる回りながら、出たい方向の道へ出るという不思議なシステムがあって、これに慣れるまでに、私はぎゃあぎゃあ言って運転していました。運転するのに必死で、標識を読んでいる余裕がないので、助手席のお友達がナビゲイトしてくれて、それでなんとか目的地にたどり着くという感じでした。私はアバウトで、ちゃんとリサーチしていかなかったので、景色がきれいだろうって選んでしまった道を走っていたら、どんどん山のなかへ入っていってしまい、イロハ坂みたいになっていって怖かったでした。この写真を撮った後、大雨が降ってきて、前が見えないくらの豪雨になってそれはそれは恐ろしい思いをいたしました。 |

スペインの北を選んだのは、巡業の道を歩いてみたかったというシンプルな理由からですが、Puenta La Reinaの、ラ・ペリグリノというホテルを見つけて、ここに泊まるのを楽しみにしていました。ちょっとしたミュウジアムのようで、素晴らしいホテルでした。 |
ラウンジの一部 |
お部屋も、とても素敵でした。
建物は古いのですが、バスタブやシャワー等はしゃれた最近のデザインのもので快適でした。 |
ホテルから10分ほど歩いたところにある町で、その昔、ここを巡業者が通っていったとのこと。
教会へ入ってみたら、6時のミサが始まるところで、人々が口々にアベマリアなんとかなんとかって唱えていて、その響きがとても穏やかで聞き入っていました。穏やかで澄んだ響きが、私の体に伝わってきて、気がついたら涙がぽろぽろとこぼれていて、「ああ、清められたあ」という実感がありました。 |
今でも、大きなリュックサックを背負って杖をつきながら歩いている巡業者をちらほらと見かけます。
昔も、みんなこの橋を渡って、ガリシアのSantiago De Conpostelaを目指して巡業したそうです。この橋は、11世紀につくられたそうです。 |
ホテルでの夕食は、毎晩、こんな風にお出迎えしてくれました。メニューは、英語、スペイン語、そしてフランス語と用意されていました。 |
素敵な、お庭を眺めながら |
名物のアンチョビ。パンにのせて、白ワインと一緒にいただきました。 |
イカスミのご飯。リゾットとはまた違うらしいのですが、これはたいへんおいしゅうございました。この後、もう一品、豚のほほ肉なるものをいただき、これもたいへんな美味でしたが、あまりの量にお腹が一杯になって気絶しそうになりました。なんと幸せなことでしょうか。 |
私は、アメリカ、東から西へ来たので、時差ぼけは、夜は寝られず朝は起きられずといった感じ。友達は、西から東へ渡ってきたので、早寝早起きのパターンでした。
なので、私は朝が遅く、申し訳ないなあと感じていました。早起きの彼女は、私が寝ている間に、車を運転してみたらしいのですが、教習所以来スティックシフトを運転していなくて、しかもハンドルも道路も日本と反対ですからね、かなり怖かったみたいです。ということで、私がずっと運転することになりましたが、彼女が地図を読みながらとても優しい案内役をしてくれたので、ふたりでよいコンビでした。 |
車の運転、最初はほんとに怖かったんです。でも、もう現状を受け入れて、やるしかないって覚悟して挑んでみたら、東京でスティックシフトを運転していたときの感覚が徐々に戻ってきました。友達が、私が、小回りを利かしてターンしたり、坂道発進をすると、「素晴らしいわあ、佐恵美さ〜ん」「かっこいいわあ!」って褒めてくれたので、だんだんと調子が出てきて楽しくなってきました。
この頃からでしょうか、ようやく、旅をしているという実感がわいてきたのは。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|