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LA:2007-08-29 23:52 |
(53) |
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友達のダンは、中国人の父親と日系人の母親の間に産まれたアジア系アメリカ人で、とてもクリエイテシブな人。彼が、舞台劇の脚本を書き始めてからそろそろ1年半程が経つ。先週末に、その第4ドラフトの舞台リーディングが行われた。
知り合いの役者たちを集めて、キャラクターに扮して脚本を読んでもらう。ダンは、それを客席で観ながら、次のドラフトに活かせるような点をノートに書き出していて、さらに招待した観客からも、観た後の感想やフィードバックをもらっていた。それらを参考に、次のドラフトに役立てて脚本をシャープにシェイプ・アップしてゆくのだ。
映画の脚本や舞台劇は、こうした過程を何度となく繰り返しながら修正を重ねてつくられるケースが多い。私も、テーブルを囲んで読み合わせを行うテーブル・リーディングに参加したことが何度かある。
ダンの舞台劇“Show me some stuff”は、彼自身がシカゴで過ごした少年期の体験を基に書かれていて、主人公は、中国人の父親と日系人の母親を持つ13歳の女の子だ。今回、日本人のキャラクターを書き足したということで、その役を読んで欲しいという依頼を受けた。
この舞台劇は、今年の11月からワーク・ショップを始め、来年の秋頃にオープンする計画らしく、Cedar Grove Productionsが製作に関わっている。ここのティム・トヤマがプロデュースして、クリス・タシマが、監督&主演した短編映画“Visas and Virtue”が、1996年のアカデミー賞の最優秀作品賞を受賞しているので、日本の方には馴染みがないと思うけれど、ロサンジェルスの日系社会では、彼らはちょっとしたセレブリティーだ。
日系人と日本人て、違うんですよね。このふたつの人種の間には、なんとなく隔たりというか見えない壁のようなものがあるように感じられます。これまでも、ダンに誘われて日系人のイベントに出席したことがありましたけれど、すんなりと馴染んでゆけないというか、受け入れてもらえていないような不思議な印象を受けました。
日系人の歴史を思えば、それは仕方がないのかなとも思います。だって、彼らのご両親やおじいちゃんおばあちゃんの世代は、第二次世界大戦中に家も商売も財産全てを取り上げられて収容所に入れられたという苦い経験がありますから。そういう体験をくぐり抜けてきた人たちだけが理解しあえたり、共鳴できるものってありますし、そうした苦労が団結力や絆を生み出してきたのだと想像します。日系人が試練をくぐり抜け、歯をくいしばりながら生き抜いてきてくれたからこそ、今の私たちが日本から渡って来ても、たいした苦労もなく生活に馴染んでゆけるような時代に移り変わって来たのだと考えます。大戦後、60年以上経った今でも、キャンプに収容されたという屈辱は、日系人の心に根強く残っているようです。
ところが、日本の人たちは、日系人に関しての知識や感心を持つ人が少ないようで、そうした事実に、日系の人たちはガッカリしてきた部分があるのだと思います。私自身、ダンと知り合っていなければ、日系の人たちとお付き合いをするような機会にも巡り会わなかったかもしれません。
新しく加わったミチコという、日本からお嫁に来た女性のキャラクターを日本語と英語を交えて読んだのですが、このキャラクターがちょっと愉快で、読むたびに客席で爆笑が起こっていました。舞台リーディングが終わってから、みなさんから随分とお褒めの言葉をいただき、プロデューサーのティムに監督のクリス、書いたダンも随分と喜んでくれました。
アメリカのテレビ・ドラマで日系人を演じたことはあっても、日系の人たちと仕事をするのはこれがこれが初めてだったなあと気がつきました。これが、私のJA(ジャパニーズ・アメリカン)エンターテイメントでのデビューでした。
舞台の読み合わせといっても、数回のリハーサルがあり、クリス・タシマさんが演出を手掛けたのですけれど、この人が、昔の活劇の二枚目俳優といった感じの凛々しいお顔をしてらして、一寸見とれてしまいました。 |
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