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LA:2007-05-28 11:42 |
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東京の友達とメイルのやりとりをしていて思うことがあった。
彼女は、体のあちこちが悪くて、これほどの痛みを抱えながら生きなくてはならない理由はなんだろうともらしていた。
彼女が好んで読んでいる精神世界について書かれた本には、「どんなにつらくても、あるいは退屈でも、生まれてきて一番何より大事なのは生き抜くこと」とあるのだそうです。
その著者の講演会に参加したとき、著者がこんなことを話していたといいます。
「相談をしてくる多くの人が『私は何をするために生まれてきたのでしょう?』ということを聞きたがる。それで『今のあなたにとって大事なことは、ゴミ当番等を嫌がらずに町会の仕事をきちんとこなすことです』と言うと、『えーっ、そんなことですかー』とがっかりする。世の中には特別な使命を持って生まれて来る人もいるけれど、でも、ほとんどの人たちは、平凡な日常の出来事をこなしていくことこそが生まれた目的であり、その日常の中にすべての学びがある」
ときどき、途方も無く可愛らしいおばあちゃんやおじいちゃんを見かけることがあります。他界してしまったけれど、実家の祖父や母方の祖母とか、昔、友達に連れてってもらった白馬の親戚の家のおばあちゃんも可愛かった。傍に居るだけで、なんだか心が安らぐというか、じわじわと愛や喜びが伝わってくるような存在感がありました。
最近になって、あのお年寄りは、全てを受け入れていたからなんだということが分かりました。あれが欲しいとか、こうなりたいとかいう欲もなくて、自分に与えられた環境や物事を受け入れて感謝しながら、ただただ生きていた。
庭で農作物を干しながら、「オテント様は有り難いねえ」なんて独り言を言いながら作業をしていた。何かあげると「おらには、もったいねえからよお」って言って孫たちにあげちゃったりするの。
あの存在のなかに、愛と喜びがぎっしり詰まっていたような気がします。
前に行ったセミナーでヒーリングの先生が、「俗界の物事から自分を断って、山にこもって修行をするのは簡単なこと。こうした都会に住みながら、家族を養うために会社に通って、子供の世話に頭を悩まし、日常の様々な責任に負われながら心の修行をしてゆくことは並大抵なことではありません」って言ってました。
あのおばあちゃんたちも、若い頃は、たくさんの苦労や心労があったのだろうと想像します。でも、そういうものを乗り越えて生き抜いて来たからこそ、全てを受け入られる意識に達することができたのではないでしょうか。
友達と、前向きに生きていれば、必ずいい方向へ向いてゆくと信じながら暮らしてゆこうね、ということで合意しました。
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