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Brewery Artwalk (23年前のロサンジェルス暴動が起こった日 part 2)
LA:2015-05-15 12:35 (194)
「Riot(暴動)が勃発したんだよ」と、トーマス。
 Riotは、私にとっては初めて聞く単語でその意味を知らなかった。この日に限って、毎日どこへ行くにも必ず持ち歩いていた辞書をアパートに置き忘れてきたから、トーマスにライオットが何かを聞いてみると、怒りに駆られた黒人たちが、建物に放火したり、店を壊して物を略奪したりして暴れているのだという。さらに、人々がそれほどに怒っている原因は何なのかと突っ込んでみると、
「Because of the verdict of Rodney King case!(ロドニー・キング裁判の評決のせいだよ)*」
 とツバを飛ばしながら訴えた。けれど、私はverdict(評決)の単語の意味も知らず、Rodney king(ロドニー・キング)が誰で何をした人物なのかの知識もなく、何のことだかさっぱり分からなかった。だから、発祥した事件がミステリアスなベールに包まれたままで、自分には全く関係のない他人事だと解釈した。そこにアナウンスが響いた。
前科があり、その晩も、薬物使用をしながら車を運転していたロドニー・キングは、スピード違反を犯し、二十人にものぼるロサンジェルス市警の警官からの追跡を受けながら暴走した。40分の追跡の後、白人警官たちが、ロドニー・キングが抵抗したとして警棒で殴打、足蹴りをするなどの過剰な暴行を加えた。その模様を、たまたま近所に住む住人がビデオ・カメラに納めていて、その映像が全米で流され、ロドニー・キングが黒人であったがための人種偏見を伴う体罰であるという意見が強く、黒人社会の怒りを買った。そして、起訴された四人の警官の裁判のなりゆきが見守られた。被告にあげられた四人の警官のうち三人が白人、ひとりがヒスパニックで、そして、この裁判の陪審員に黒人はひとりも含まれていなかった。この日の正午、被告全員に対して無罪評決が下されたことが引き金となりロサンジェルスの黒人の間で怒りが爆発し、暴動の勃発となった。
「ロドニー・キング・ケースの評決によりライオットが勃発したというニュースが入っています。このまま撮影を続けるか、中止して皆を帰宅させるかを、プロデューサーたちがテレビ中継を見ながら検討しますので、その判断を待ってください。その間に、どうかランチ・ブレイクを楽しんでください。Enjoy your lunch.」
 セットには、警戒心のある重たい空気が漂い、ランチだと手を叩いて喜んでいたのは私だけだった。「みんな、どうしちゃったの?ランチだっていうのに」と思ったけれど、フッと、先ほどのトーマスの「怒りに駆られた黒人たちが・・・」という言葉を思い出した。見れば、セットの中は、はっきりとふたつのグループに別れている。黒人と、それ以外のグループ。私は事の成りゆきがはっきりと把握できないままだったけれど、黒人たちが怒りまくるような出来事が起こったのだ。そして、同じ影響がセットにいる黒人たちにまで及ぶ可能性がないとはいえない。
 程度は違うけれど、真珠湾攻撃の後、アメリカ在住の日本人や日系人が遭遇したdiscrimination(差別)と同じものが、このセットにもはびこり始めていた。
 宣誓布告なしに真珠湾を攻撃した日本は、アメリカ人にとって卑劣で野蛮なジャップと化した。そして、アメリカ在住の日本人と日本人の血をひいた日系人に対する敵対心や警戒心が、アメリカ全土に一気に広まり浸透した。
 それまでは、近所付き合いをしていた日系人の一家も、一緒に学校に通った日系二世の同級生も、買い物に行くといつもおまけしてくれた日本人の八百屋のおじさんも、真珠湾攻撃を境に、ジャップとして敬遠され蔑まれるという差別を受けるようになった。
 この日、ロサンジェルスの町を崩壊する勢いで暴れ始めた黒人たちの動きは、アメリカの白人にとっての脅威となり、セットにいる黒人のエキストラたちに対しても同類の印象を持つ白人がいたはずだ。そして、「もしかしたら、セットの黒人連中も、怒って暴れ出すかもしれない」と、密かに恐れる人たちがいて、そうした懐疑心や不安が空気を淀ませていた。
 実際、黒人同士で固まると、団結してなにか企んでいるのではないかと勘ぐって白人がナーバスになるといけないと考え、意識的に団体行動を避けている黒人男性もいた。
これは、単一民族の国で育った私とって強烈なカルチャーショックであり、事の深刻さが吞み込めないままだったけれど、それでも非常にエキサイティングな体験に興奮しながらランチを目指して倉庫を出た。
ケータリング・トラックのほうへ歩いて行くと、トラックから少し離れた所に、巨大なグリルが登場していて、モクモクと上がる煙に顔をしかめながらラテン系の男性ふたりが大量のステーキとチキンを焼いていた。大バーベキュー・パーティ!長テーブルの方には、何種類ものサラダが並べられていた。私は、トラックの中のお兄さんから、ライスやスチームド・ベジタブル、焼き魚や煮込んだ豆などの温かい料理をよそってもらい、グリルの横で、ビーフとチキンを少しずつスライスして皿に載せてもらった。豪華なブレックファーストに続いて、さらにゴージャスなランチだった。また別の長テーブルには、5、6種類もの超甘そうなケーキとカット・フルーツやクッキーにアイスクリームといったデザートが並べられていた。そちらにも目を馳せながら、もうお菓子屋さんにいる子供のようになって、早くランチを食べてデザートにありつきたいと、腰が浮くほどワクワクしながらランチをパクついた。
 周りの人たちは皆、口数も少なく、ぼそぼそと話すことはライオットのことばかり。かなり凄みのあるように見える体の大きな黒人男性さえも神妙な面持ちでいたので、ライオットがそれほど恐ろしいものなのかと想像してみたけれど、意味も分からずコンセプトもあやふやなだけに、どうしても他人事にしか思えず、怖いという感情も危機感も沸いてこなかった。
 ランチ・ブレイクが終わってセットに戻ると、再びアナウンスがあり、撮影が続けられるということを知らされた。
「陽があるうちに帰れたらいいけど、無理だよねえ」とつぶやく人たちがいたけれど、私は、どうせ撮影は朝まで続くのだから朝日が昇ったときに帰れば安全でいいじゃないかと気楽に構えていた。
 実は、このとき、セカンド・ADが「撮影はネクスト・モーニングまでかかります」とアナウンスしたモーニングのことを、私は、朝日が登ってニワトリが「コケコッコー」と鳴く頃の朝だと思い込んでいたのだけれど、実は、英語でモーニングは午前を意味し、午前零時を回った時点からがモーニングと称されることを後になって知った。そして、実際、コマーシャルの撮影は、午前零時の数分前に終了してしまった。
 午前7時にセットに呼ばれ、午後八時頃からようやくカメラが回り始めた撮影で、私は数百人のエキストラに混じって二分ほど踊ったのが六、七回あったのか、それで撮影が終了と聞かされて、ひどく物足りない気がした。「朝までやるっていってたのに〜」とこぼしているところに、セカンドADが、
「バウチャーを配るので、記入して提出してから帰ってください」
 と、声を張り上げた。
 B5の半分のサイズで四ページがワンセットになったバウチャーと呼ばれる書類に、名前や住所、そして就業時間を書き込んでサインしないとギャラがもらえないというので、できた列の後ろにくっついて並んだ。初めてのことだったので、セカンドADに何度も質問しながらやっと書き込みを終えて提出した。
 辺りを見回すと、見事に人気が無くなっていて、セットは閑散としてその日の朝の空っぽの倉庫に近い状態に戻りつつあった。皆、蜂の子を散らしたように帰ってしまったらしい。それでも、まだ残ってセットの解体作業をしているクルーもいたし、パーキングにはガードマンがいるというので、大丈夫だろうと思いながら荷物を持って歩き出すと、倉庫の出口にトーマスが廊下に立たされた小学生のように身を縮ませながら立っていた。
「どうしたの?」
 と聞くと、私を待っていたと言う。
「お願い!君は、ウエスト・ハリウッドに住んでいるって言ったよね。僕は、ハリウッドで君の帰り道の途中だから、乗せてってほしいんだ。車で来たんでしょ?」
 もう泣き出すのではないかといった顔つきだった。トーマスは、車を持っていなくて、この日の朝はバスを乗り継いでセットまで来たのだ。
「もうバスはないし、ライオットが起こっているから乗せてって、お願い、プリーズ!」と懇願された。
 真夜中に、知らない男を車に乗せるなんてことは、普通だったら無防備なことだけれど、このときは状況が状況だったし、こんなに気の小さい人に襲われることもないだろうと思い、「ノー・プロブレム」と、オーケーしました。
 昼間にはひしめき合うように並んでいたトレーラーやトラックもほとんどが引き上げてしまって、薄暗くて足下もよく見えない砂利道をふたりでパーキングまで歩いた。パーキングに居るはずの警備員も身の危険を避けるために帰宅してしまったのだろう、姿がなかった。ここまできても、私にはライオットの何がそれほど恐ろしいことなのか全くピンとこなくて、実感も湧かないままでひょうひょうとしていた。
 私のホンダ・シビックが、暗闇のなかでポツリと一台、主人の帰りを待っていてくれた。前にも書いたが、トーマスは巨漢だ。体重は百五十キロはあったかもしれない。私の体重が四十二キロだったから、トーマスが助手席に座ったら、車の左半分が浮いたりしやしないかと想像したけれど、車はちゃんと平行を保ったまま走り出した。
 ところが、来たときも行き当たりばったりで偶然のように到着したロケ地だったから、帰り道をしっかり把握しておらず、確信のないまま来た方向へそろりそろりと走り出した。ダウンタウンの町の明かりが見えたら、そちらの方向を目指せばいい。あの辺は、いくつものフリーウエイが入り組んで交差しているから、どれかの入り口にぶつかるだろうと考えていた。
 この辺りの工業地帯の半分は廃墟になっているためか街頭がなんだか冴えないオレンジ色で、全体的にぼんやり薄暗い道筋を走った。道の名前が書かれたサインがなかなか読めなくて、人に尋ねようかと思ったけれど、人どころか車の一台も走っていない。だから、適当に朝来た道順を思い出しながら走っていると、トーマスが、
「ああっ!見て!火事だ!」
 と、運転席の窓の向こうを指差したので、左側を見ると、随分な距離ではあったが四箇所に炎が上がっているのが見えた。「ほんとに、すごいことが起こっているんだ」と思いながら赤信号で止まると、今度は、
「お願い!こんなところで止まらないで!怖いよ!」
 と、トーマスが、泣き出した。
「だって、向こうから車が来たらぶつかっちゃうじゃない!」
 被害を被るのは私の車なのだとちょっとムッとしたけれど、トーマスを見ると、小刻みに震えていて、汗だか涙だか分からないけれど顔がぐっしょり濡れてテカテカになっていた。「そんなに怖いんだ、この人」と、気の毒になってしまった。どこにも車が走っているような気配は無かったけれど、それでも、焦ったドライバーが猛スピード飛び出して来ないとも限らないので、注意しながら赤信号の手前では速度を落として警戒しながら走っていたら、トマースは、速度が落ちるたびに、
「怖い!お願い!後生だから、スピードを落とさないでえ!」と、わめき、悪い人たちに見つかったら殴り殺しにされちゃうというようなことを繰り返し訴えるので、私は、ライオットよりも泣き叫ぶトーマスのほうが怖くてアクセルを踏んだ。
 違法のUターンを3度、信号無視を4回ほどしたところで、やっとチャイナ・タウンに近づいてきてフリーウエイの入り口が見つかった。昼間、撮影現場でラジオのニュースを聞いていた人たちは、フリーウエイが封鎖されたと話していたので警官が出ているのかと思いきや、白と黒のシマシマのつい立てがちょこんと置き去りにされているだけだった。でも、フリーウエイを使わずに、ダウンタウンとコリア・タウン(韓国人街)を抜けて帰る道のりは、平常時の夜でも危険だと聞いていたから、トーマスと顔を見合わせて合意し、つい立てを突破し、というか車の小周りを利かせてつい立ての脇を通り抜け、そのままフリーウエイに突入してスピードをあげてエンジンを全開させた。
「オオ!サンキュー!サンキュー・ゴッド!」と、トーマスは繰り返し、私は全く車の無いフリーウエイを、時速一四〇キロで突っ走った。ポリス・カーも走って来ないだろうという勘があったので、スピード・レーサーになったような気分で風を切るように暴走した。
 
 トーマスのアパートへ寄るために、ハリウッド・ブルバードの出口でフリーウエイを降りると、そこも、ホームレスひとり歩いていない、車ひとつ動いていない閑散とした状態だった。こんなハリウッドを見たのは、後にも先にもこのときだけ。(この日は午後八時に戒厳令が布かれていた)初めて見るハリウッドの静まり返ったワン・シーンのなかで、自分の運転する車だけが動いているということがなんとも不思議だった。
 最初は、ハリウッド・ブルバードとコエンガ通りがぶつかる辺りで降ろしてもらえれば後は歩いて帰れると言っていたトーマスも、この状態を見て震え上がっていたので、
「アパートの前まで送ってあげるから心配しないで」
 と言ってあげた。こちらが優しくなると、トーマスも、私こそ無事にアパートまでたどり着くように祈っているからと言ってくれて、別れ際には、
「ほんとに有難う!感謝するよ。このお礼をしたいから、ライオットが治まったら電話するね。ランチを御馳走させて。絶対連絡するからね」
 と、汗ばんでじっとりしている手で私の手を握ってくれた。
「ほんとに大丈夫?気をつけてね」
 と、不安そうな表情で見送ってくれたトーマスだったけれど、その後、電話もなく、それっきり会うこともなかった。
 ひとりになって、人影の無いサンセット・ブルバードを西に向かって走っていたら、自分が映画のなかの一こまに存在しているような気持ちになった。もちろんカメラもないし、クルーもいないのだけれど、静まりかえった町中をたったひとりで走り、通り過ぎる街灯の灯りに照らされながら、周りの風景がとても鮮明に、そしてスローモーションで流れてゆくように見えた。まるで、自分が町の風景に完全に溶け込んでひとつになったかのようで、また、体の密度が薄くなっていくような感覚があった。
 私には、不安や恐怖心が全くないままだった。道路脇にギャングがたむろしていたり、銃声が聞こえたり、火の手がそこまで迫っていたとしたら、怖くて逃げただろう。でも、町には人気もなく、何の動きもなく、シンと静まりかえっていたから、静寂のなかを泳ぐように走りながらこの不思議に心地いい体感を堪能した。
 こんなに人々が怯えているのだから、たぶん歴史に残るような大事件が起こっているのだろうと察しながらも、その真ただ中で、ほんの少しも恐れることなく、たったひとりで穏やかに呼吸をしている自分の生命がこのうえなく愛おしいものに感じた。
 ウエスト・ハリウッドのアパートに戻ってみると、キッチン・カウンターにルーム・メイトが残したメモを見つけた。「ライオットが勃発して怖いから、サンタモニカの彼氏のところに行きます。サエミも怖かったらこっちへいらっしゃい。彼の電話番号xxx-xxxx」
 時計を見ると、午前二時をまわっていた。「ほんとに、今日はなんてすごい一日だったんだろう!」と、まだ興奮覚めやらずという感じもあったけれど、朝が早かったし興奮の連続だったためか、突然、睡魔が襲ってきた。疲れたし、ぐっすり眠って起きてからニュースで世の中がどんな状態になっているのか観ればいいと思い、シャワーを浴びてベッドに潜り込みあっという間に眠りに落ちた。
 すると、「・・・ン!?」、気がつくと、ベッドの横に、六年前に亡くなったおじいちゃんが立っているではないか。
「佐恵美はな、何にも心配することないんだぞ。おじいちゃんがついてるからな。どんなことが起こっても、おじいちゃんが守っているから、何も心配することないんだからな」
「はっ!」喘ぎ声とともに目を覚まし、ガバッと上半身を起こした。体中がぐっしょり寝汗をかいて、頭皮にも額にも汗が吹き出していた。よくB級のホラー映画で、悪夢を見た人が目を覚ますときに見られるあのシーンによく似ていた。「今のは一体!?」大好きだった祖父の姿だったのに、ひどく恐ろしい思いがして心臓がバクバク鳴るので、悪い夢だったかと思ったけれど、体は何かを感じとっていた。
 以前、友達が本で読んだといって、体の細胞のひとつひとつは意識と記憶を伴っていると教えてくれたことがあった。そして体細胞は、概念や固定観念に縛られている思考よりも正直で正確な判断をくだすのだと。このときの私の体には、亡くなった祖父の霊というかエネルギーが、今ここに居たという確信とよべるほどの鮮明な感覚が残っていた。
 祖父の霊までが現れて、怖がる必要はないと言い聞かせるくらいだから、外ではよほど恐ろしいことが起こっていたのだろうと思い直し、テレビのスイッチを入れた。午前三時半をまわったところで、CNNのニュースでは、昼間のロサンジェルスでの暴動の様子を繰り返し流していた。
 画面には、ロサンジェルスの南に位置するサウス・セントラル地区で、白人のトラックの運転手が、逆上した黒人の暴徒者によってキャビンから引きずり出され、殴る蹴るの暴行を受け、鉄やコンクリートの塊で頭を強打され、ひん死の状態にされている現場がヘリコプターからのズーム・インで映し出されていた。私のアパートからロサンジェルス国際空港へ行く途中に建つ大きなディカウント・ショップが略奪されて、スニーカーや衣類、または家電を盗み出す人たちの姿。各地で放火が発生し、韓国系の店の経営者たちが、自分たちの店を守ろうと、拳銃や猟銃のような武器を持って屋根の上に上がり、近くに人影が見えるとそれを狙って猟銃を撃ち放っている様子。この日、イースト・ロサンジェルスは完全な無法地帯と化していた。
 この騒ぎの引き金となったロドニー・キング裁判の評決の前に、イースト・ロサンジェルスのサウス・セントラルという場所で、韓国人の酒屋の女主人が、店の品物を盗もうとしたとクレームをつけて黒人の少女を撃ち殺した事件があった。店主は、正当防衛だったと弁護されていたけれど、監視ビデオからも、ふたりの間で小競り合いがあっただけで、黒人少女が銃や刃物などを見せて脅した様子もなかった。にもかかわらず、店主は、店を出ようと歩き出した黒人少女を後ろから射殺した。
 このショッキングな事件と、この事件の判決に対する怒りと不満が、黒人社会の対韓国人感情を悪化させ人種間の衆怨を高めているときだった。そして、そのテンションが高まりに高まったところに、ロドニー・キング裁判の無罪評決が下されたことで、黒人社会の抑圧されてきた鬱憤が一気に爆発して勃発した暴動だった。だから、韓国人経営の商店を崩壊しようと狙った黒人の暴動者がたくさんいたわけだ。
 アメリカ人からすれば、私が、日本人か韓国人かという見分けはまずつかないだろう。しかも、怒りで逆上している暴徒者たちは、アジア人イコール韓国人だと取り違えても不思議ではない。私と白人のトーマスの乗ったホンダ・シビックが、暴徒者たちの群がる地域に迷い込んでいたとしたら・・・。殺気立ち、取り憑かれたかのようにトラックの運転手の暴行に加わる暴徒者の様子をテレビで観ながら、トーマスが、赤信号でも車を止めるなと懇願して泣いた理由や、セットにいた大勢の人たちが怯え、蜂の子を散らすように消えてしまった理由も、戒厳令が出されてハイウッドにも全く人気がなかった理由も、やっと、そして、ついに理解した。体中に初めて冷たいものが走った。状況が読めなかったのだから仕方が無いとはいえ、自覚のないまま、命を落としかねないような危険な場所に居合わせたのだ。私は、再び、祖父が残してくれたメッセージを思い出した。

「佐恵美はな、何にも心配することないんだぞ。おじいちゃんがついてるからな。どんなことが起こっても、おじいちゃんが守っているから、心配することないんだからな」

 この晩、目には見えないけれど、私にも守護神や守護霊といったものがついていて、常日頃から私を守り導いてくれていることを知った。ただ不思議だったのは、私は、生前の祖父が大好きで随分と可愛がってもらった記憶があるのに、この晩現れた祖父にどうしてあれほど怯えたのかということだ。祖父がベッドの脇に立っていたときの表情はよく見えなかったけれど、守っているから心配するなという愛情のこもったメッセージを伝えに来てくれたというのに、なぜ体中から汗が吹き出すほど怖かったのだろう。
 これは、私の勘だけれど、あの日、私の守護霊は、普段よりもより近くで私を守ってくれていたような気がするのだ。肉体的な危険からのみではなく、精神的な不安からも守っていてくれたのではないだろうか。みんながあれほど怯えていたにもかかわらず、私は、最後の最後まで危機感を全く感じず、それどころがワクワクしながら、一日を存分に楽しんで無事に家までたどり着くことができた。いつもどこへ行くにも必ず持って歩く手あかで黒くなった和英・英和の辞書を、この日に限って忘れ、セットに持っていかなかったことも、私の恐怖心をあおぎ立てないようにと守護霊が仕組んでくれたことだったのかもしれない。ほんとうだったら私が体験したはずの恐怖心を、守護霊様が私をかばうようにして一時的に預かってくれて、無事にアパートにもどったときに「今ならもう大丈夫だろう。これが今日のお前の分だったんだよ」と、一日分の不安や恐怖心をどっさりと寝ている私の上に落としていったのかもしれないと。
 

今年のBrewery Artwalkで。私の立っている所が、23年前、デヴィッド・リンチ監督にお菓子を手渡してもらった場所。


 
 あの日、イースト・ロサンジェルスでは暴動が起きていたというのに、コマーシャルの撮影セットでエキストラをしていた私は、感極まるほどのエキサイティングな経験を楽しんだ。「知らぬが仏」とは、まさにこうした状態をいうのだろう。
 この体験によって、私は、肉体は消滅しても、命とか魂と呼ばれる精神は永遠であるということを理解しはじめた。また、ライオットのコンセプトも意味も全く理解でなかったお陰で「怖い物知らず」のまま過ごすことができた一日を振り返り、人の心に沸き上がる不安や恐怖心というのは、その人のなかに既に宿る記憶や観念から呼び起こされて生まれるものなのだということにも気がついた。
このLAライオットの勃発した日の経験が、私が、精神世界に興味を持ち始めるきっかけだった。そして、昔のように、先祖の霊が現れても怖がることなく、むしろ、また祖父の訪問がないかと願うようにさえなった。
 東京の実家に戻ると、真っ先に仏壇の前へゆき、手を合わせて祖父にただいまと挨拶をする。そして、帰国中には必ず祖父母のお墓参りをして、家族の安全を祈るようになったので、私にも、人を思いやる気持ちが少しは養われてきたようだ。
 ご先祖様や守護霊の存在に感謝をすればするほど、自分が守られ導かれていることを強く感じられるようになるらしい。これは、異国で一人暮らしをしている私にとって、ほんとに有り難いことだ。
今日も、ロスで、本棚に飾った祖父の写真に向かって合掌する。
「おじいちゃん、有り難う。守っていてくれて有り難う」
                                     
                              おわり
   
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