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LA:2012-08-07 15:26 |
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父が他界しました。
末期の胆のう癌が見つかった時点で既に他の臓器への転移も見つかり、余命いくばくもないと宣告されました。本人の希望で、いっときは入院させましたが、個室の病室で、鼻に酸素吸入を差し込まれた状態で喫煙していたのを看護士に目撃され、担当医から「もうウチでは入院もお断り、治療もしませんから、他の病院へ行ってください」と言い渡されたそうです。
父は、それまでもずっと心の赴くまま自分勝手に生きてきた人なので、家族が、入院は無理だろうから在宅介護で最期を迎えられるようにと腹をくくり、このたび自宅にて穏やかな最期を迎えることができました。
生前は、妻に散々苦労をかけ、子どもにも随分と面倒をかけた人で、最期まで、全ての責任を長男である弟に任せっぱなしのまま、何も心配することなく、また子離れすることのないままに逝きました。そんな父親の生き様を見ていた近しい人は、「お父さんの勝ちだねえ」ともらしたほどです。
父は、「来る者は拒まず、去る者は追わず」といったタイプで、人に好かれたいとか良く思われたいという欲求があまりない人でした。ですから、介護に来てくださった方々からのサービスや優しさを、自分に引け目を感じることなく、感謝の気持ちをもって受け入れていました。そうした素直な姿勢が、これほど恵まれた理想的な最期を引きつけた、クリエイトしたともいえるかもしれません。
亡くなる一週間前、主治医の先生も、「理想的な最期ですね。癌で亡くなるというよりも、体の衰弱というかたちで、枯れ葉が落ちるように静かに逝かれるでしょう」とおっしゃっていたそうで、まさにそのとおりになりました。
私は、実家を出てから20年以上が経ちますし、東京へ一時帰国したとき以外で父としゃべることはほとんどありませんでしたが、それでも、父親が逝ったことで、家族のダイナミック(エネルギーのつながりのバランス)が大きく変わったことを実感します。フィジカル、および精神的な面でも軽くなったようです。これからは、父の魂が、天界から家族を見守り導いてくれるでしょうから、それを頼りに、自分で全部を背負い込まないようにしてゆこうと思います。
自分でどうしようもできないことがあれば、それはもう神様/天に、「降参です!後は宜しくお願いします」と、投げてしまえばいい。誰にも愛されないと感じて淋しくなったときは、ハートのチャクラが閉じかけて愛を感じられなくなったときだから、「誰も私を愛してくれないのであれば、自分で自分を愛すればいい。そうじゃなくちゃ自分が可哀想!」と、自分を愛おしく思うと同時に、人様からの優しさを素直に受け入れるように意識する。
そして、生きることは「楽しんじゃった者が勝ち」なのだなと、今回、父の旅立ちに立ち合うことで見させてもらったような気がします。
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