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LA:2010-03-09 18:50 |
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友達に誘われてトム・フォードの初監督作品、「A Single Man」を観に出かけたのは3週間も前になるというのに、ものすごく美味しい物を食べたときのような、未だに思い出しては後味を楽しんでいる感じがあります。デリーシャスな映画でした。
作品は、今年のアカデミー賞にはノミネートされませんでしたが、主演のColin Firth(コーリン・ファース)が、主演男優賞にノミネートされました。コーリン・ファースは、大ヒットした「ブリジット・ジョーンズの日記」でミスター・ダーシーを演じてアメリカでも人気のイギリス人男優です。今年の、イギリスのアカデミー賞と呼ばれるバフタ・アワードでは主演男優賞を受賞しました。
トム・フォードは、1994年から2004年、グッチのクリエイティブ・デザイナーとしてブランドのイメージチェンジをはかり大成功させたデザイナーとしても有名です。ファッションは季節ごとに移り変わってゆくものだけれど、映像は永遠に残るものだからといい、20代のときに読んで感動した小説から(同タイトル)脚本を起こし、自ら制作費を出して「A Single Man」を監督しました。
ストーリーは、1962年のキューバ危機のさなか、愛人を亡くし、深い悲しみと孤独に苛まれる大学教授が、ある朝、目を覚まし、自分の命を絶つことを決めます。そして、映画は、その大学教授、ジョージの最後の一日の出来事を、夢を見ているかのような美しい映像で追ってゆきます。
ジョージにとって人生を終わらせることは、心の痛みと孤独から自分を解放することでした。ですから、それを決めたとき、ジョージは、将来を想って憂いに浸ることや、過去の思い出に翻弄されることからも解き放たれます。心がそうした無心の状態になると、命の息吹が流れ込むドアが開くかのように、もっとも自分らしくありながら、命がその体を通して引き起こすマジカルな体験に自分を委ねることができるようになるからでしょう。エゴや不安に捕われない本来のジョージとして、残された一日の一瞬、一瞬を濃厚に味わうかのように体験してゆきます。彼の目には、これまでと違い、すべてが命の色濃く鮮明に映り、また、隣人、親友、また行きずりの男性や教え子とのやりとりに、悲哀を含んだ優しさを見つけます。それは、まるで命を堪能しているかのようでもあります。
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人は、死を身近に感じるとき、同時に、生きていることをより意識できるようになります。普段の私は、明日がくるのを当たり前のこととしてとらえながら、自動的に、そして無意識に毎日を過ごしています。そのせいでしょう。気がつくと、つまらないことを繰り返し考えながら、エゴや不安に駆り立てられて、きちんと自分を生きていない、焦げつくような感覚がしばし体のなかに起こります。ですから、「A Single Man」のジョージの鮮やかに流れる最後の一日の映像に魅せられながら、そうした意識状態で暮らすことへの憧れが込み上げてきたのだと思います。
私の場合、たとえれば、劇場の観覧席に座ったまま、舞台の上で自分の人生が舞い始めるのをじっと待ち焦がれているような感じがあります。でも、生/生命というものは、私という肉体をもった媒体をとおしてはじめて現象となり表現されるものですから、舞台の上に肝心の役者が現れないうちは、人生は舞を始めることもないし、人生の花が咲くこともないのです。
エゴや思考から解放されて、今、目の前にある物事を、いいとか悪いとか判断しないまま真っ直ぐな気持ちで受け入れて、対処してゆける自分でありたいです。今、この瞬間、瞬間と、無心で向かい合える私があるとき、生命の神秘が私をとおして舞い始めます。すれば、この体をもって生きる毎日が、神様の贈り物、プレゼントであることを実感できるようにもなるでしょう。
英語で、過去はパスト(past)、未来はフューチャー(future)、そして、今、現在をプレゼント(present)といいます。
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