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感情に呑み込まれないで、感情を楽しむ
LA:2009-09-18 23:26 (113)
 幼い頃の私は、神経質で怖がりで、泣き虫でよく泣いていました。同じ両親のもとで育った姉妹でも、育った環境や両親に対して抱いていた印象が随分と違うのはおもしろいことです。たとえば、恵まれた子ども時代を過ごさせてもらったと思っている姉と対照的に、私は、自分の子ども時代を、不安だらけの灰色の生活だったと感じ、若い頃は昔を思い出しては暗い気持ちになったものです。
 どういうわけか、私は、親から愛されたという印象が薄く、親からの愛情と承認を得ようと一生懸命に優等生を演じました。中学のときは、オール5をとるほどのガリ勉でしたが、神経をすり減らしていたために円形脱毛症になり、自分の髪の毛では隠せないほどハゲが大きくなったときは、ほんとにショックで惨めな思いをしました。成績はずいぶんと良かったのですが、それでも褒められた記憶がほとんどなく、第一希望だった高校に入学できたときは、それまで溜まっていた鬱憤を爆発させるかのようにパンクになりました。当時の私のパンク・ファッション!今、思い出すと大笑いですが、17歳の私のささやかな抵抗だったのかもしれません。
 大人になってからも、私の無意識状態は続き、常に愛や承認を他人や世間の目に求めながら暮らしてきました。最近も、アイ・ラブ・ユー!と言ってくれる人に心を開いたのですが、神経質になって心持ちがキュウキュウになったときにサポートを求めてみたら、私の態度がtoo much(欲しがりすぎる)、利用しないでくれと非難されて突き放され、思い知らせてやるとばかりにしっぺ返しを食わされる羽目になりました。 好きで信頼している人だっただけに、困惑しました。こういう場合、怒りや悲しみの感情が起こるのはごく自然なことです。でも、そうしたネガティブな感情に呑み込まれて溺れないように意識することがとても大切なことだと感じました。そして、こうしたことも偶然ではなく意味があって起こってくれているレッスンだと思い直すことができました。
 そのうち、私はこれまでの永い間、間違った場所に愛を求めてきたという事実を痛感しました。
「この人から愛されれば、私は幸せになれるかもしれない。。。」
「これができれば、皆から褒めてもらえるかもしれない。。。」
 そうやって、見当違いなところに愛を渇望するたびに、そこから得られることなく、落胆し、傷ついて、泣いて、自分は誰からの愛にも値しないほど価値のない人間なのかもしれないと自信を失いました。
 私たちは、概して、自分の内側に目を向けないまま、幸せにしてほしいとか、褒められたい、世に認められたいと思いがちです。それは、自分以外の物事により価値を置いている証拠です。
 豊かな資本主義社会で生まれた私たちは、良い学校を出て、大きな会社に勤めて、高い給料をもらって、贅沢な暮らしをして、世の中から認められることが、人としての価値を高めることだと見せつけられるようにして育ってきます。
 でも、物はあくまでも物でしかありませんし、役職やタイトルは、ごく限られた環境でかろうじて意味をもつだけの飾りではあっても、決してその人の資質に代わるものはありません。豪華な家を買い、ゴージャスな車を手に入れても、何万人も入るスタジアムを完売にしてコンサートを行うアーティストであっても、それによって得られる恍惚感や高揚感は一時的なものでしかありません。
 世の中は、どれだけの財産を得たかとか、どれだけ多くの人に愛されたか賞賛されたかといったことにプレミアムをつけたがりますが、ほんとうの意味での豊かさというのは、それぞれが自分の内側に見いだす心の豊かさだと考えます。真の豊かさとは、どれだけたくさんの好ましい性質(美徳)を自分の中に見つけ、それをきちんと認識してやり、さらに育むように大切にしてゆくことができる人たちが体験できることです。そして、それが体感できるようになれば、体をもって生きていることを心の底から楽しめるようになれるはずです。
 そうした意識を開いた状態で居る人から放たれるオーラやエネルギーは輝かしく、その人の存在感や言葉に触れるだけで、私たちの心のなかに優しさが増してきたり、勇気が沸いてきたりするものです。
 心が豊かに暮らせるようになれば、もう、愛して欲しいとか褒められたい、認められたいと懇願することもなくなります。だから、わざわざ外へ求めに出かけて行く必要もないことに気がつきます。心を静めて、自分に対して優しい気持ちをもてば、自分のよいところがどんどん見えてくるはずです。そうなれば、自分の内に愛の泉を見つけられる日も近いはずです。
 


大好きな友達夫婦が、バースデーを祝ってディナーパーティーをやってくれました。
親切に、ケーキの上のキャンドルは1本だけでした。
   
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