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LA:2009-05-09 14:36 |
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昨年、スペイン旅行に同行してくれた友達とメイルのやりとりをしていたら、彼女がこんなにおもしろいことを書いておくってくれました。
「女性はやはり、きれいにしていることが
神様への感謝の気持ちのひとつの表現だと思います。」
これ、素晴らしくおもしろい意見だと感心しました。その通りだと思います。
今生で授かったこの体を、自分の気持ちがよくなるように気を配ってやる。これは、天から授かった命を大切にすることだとも思います。
友達は、さらに、いつもこぎれいにしている私を見ていると幸せな気持ちになるといったことを付け足してくれました。(自分でブログに書くのも気恥ずかしいですが。。。)
私の場合、きれいにしようとか女らしく装うということは意識していないのですが、きれいな物に囲まれていると心がはずんだり、きれいな色を身につけると気持ちが落ち着いたり、引き締まったりするので、色や装いによって気持ちも左右されるのだということを実感しています。
また、マウイ島へ一緒に出かけた姉が、旅行中に一番楽しみにしていたことは、私が女性であることを楽しんでいるエネルギーに刺激されることだったと話してくれて、そのときも驚きました。こちらも、楽しもうと意識しているわけではありませんが、ホテルの部屋で、自分の化粧品をきれいに並べてみたり、きれいな靴を並べて見とれたりするのは、私はただ好きでごく自然にやっていることです。
姉が、お尻が大きくて嫌だとこぼしていたので、アメリカではビヤンセやジェニファー・ロペスなど巨大なお尻をしている女性が魅力的だとされ、ブーデリシャス!などいう新しい言葉ができるほどもてはやされているのだと話して聞かせました。そして、自分の体の一部なのだから、そのぽってりしたお尻を可愛いと思ってあげましょうよということで同意しました。
数年前まで、完全にオヤジ化していた姉は、去年の秋ぐらいから腰回りをフリフリ、クネクネさせながら踊るベリー・ダンスにハマっているらしく、女性性に再び目覚め始めたようで、妹との私としては、たいへんめでたいことだと嬉しく思います。
でも、そんな私も、以前はなかった部分に脂肪がつき始めていることに気がついてドキリとしたり、20代前半の頃の肌を懐かしく思うことがあります。でも、誰も褒めてくれない部分を、さらに自分でけなしたり嫌がったりするような酷なことを自らにしても、なんの意味があるのでしょうか。気を持ち直して、せめて自分で可愛がってあげるようにと努めていたら、それがだんだんと自然なことになってきました。
外出をした日の夜は、「今日は、化粧を塗って疲れたでしょ。今、きれいに洗い流してあげますからね。お疲れさまでした」と思いながら、優しく顔を撫でながら洗顔をしてあげる。二の腕が気になるときは、家にもどって腕立て伏せをしてあげる。そうやって、注意を払い、よい気を流してあげることで、体も喜んでいつまでも若々しく健康でいてくれるような気がします。
ゆうべ、パーキンソン病だと診断されてから20年が経つ役者のマイケル・J・フォックスがつくったドキュメンタリー番組がやっていて、楽観的であることが人生をエンジョイするためのコツだと話していました。さらに、彼の病気の進行を遅らせているのも、彼の楽観的な物の見方と、勝ち負けを気にするのではなく、今の自分を素直に受け入れる姿勢だろうと話しているのが印象的でした。
パーキンソンだと診断されたとき、まず最初に要らないと実感し、消滅していったのが「虚栄心」だったそうです。
周りにどう観られるかなんて全く意味の無いことだと理解し、自分がどう感じているかを軸に選択を行えるようになると、視野が幸せへの可能性に向かって大きく広がるのでしょうね。そして、Happiness is contagious. 幸せは、人から人へ感染するかのように広がりますものね。
今日達成できなかったことを嘆くのではなく、明日できるかもしれない、来週だったら、来年だったら成し遂げられるかもしれないというポジティブな希望をもって前進し続けることがアプティミズム。観ていて気持ちがよくなるドキュメンタリーでした。
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